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what i saw, what i heard

2026'06.03.Wed
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2010'09.02.Thu
●森美術館にてネイチャー・センス展を見た。
そして吉岡徳仁とか栗林隆の目玉作品を見てがっかりしたのだった。いやもちろんいい部分というのはたくさんあったのだけれど。

目玉作品の「スノー」、期待するほど美しくなかった、というか汚い。美しく魅せようとしているが色々追いつかないところがあって美しくならないのなら致し方ないけれどどうやらそうではないらしかった。展示方法とか作品の管理に妥協とか、怠慢とか、そういうものが見え隠れして至極残念。ある意味、11月にあれ(羽、羽根)がどうなっているのかもう一度見たいです。あと栗林の和紙の作品。あれも、人に三月半さらされて耐える作品なんだろうか。いろいろと疑問が残る。作品を作るプロセスをみせるところも意味不明。

●面打ちの先生の修復
先生が教室に一つの古びた能面を持って来た。
能面というのは100年経って価値がつくという。それってつまり面が100年耐えること前提で語られているということ。正しい飾り方、使い方をすれば、人間の一生より長く生きていく。先生の修復資料の中にも室町時代の能面なんかがある。
で、正しくない保存や使い方をされたときに、それらは壊れる。木の本体から塗装が浮いてばりばりとひび割れたり、塗装が駆け落ち足り、する。強い日に当てたり、寒暖差の激しいところにさらしたり、乾燥させたりするとそうなる。
先生の持って来た面はほほ下の部分以外すべてはがれており、土台の檜がかけたりしている。これを先生が今修復している。あまりにも劣化が激しいため修復が難しすぎててどこから手を付ければ良いかわからず、もう一年ほども手元にあるらしい。しかもこの面そのものを手がけるのが二度目だと言う。最初に海外の展示に出すというので修復し、その展示で壊滅的なダメージを食らった面を、再度修復を頼まれてここに至るのだそうだ。百年耐えうる能面も、間違った使われ方をするだけで其の歴史的価値を一瞬にして失うこともあるのだ。
海外、特にヨーロッパでは長期的な日本ブームが続いているけれども、作品の扱い方を知らない人たちの手による展示が、これに限らず様々なトラブルを招いているのではないかと、ふと思った。

●蜘蛛と黴の芸術祭
http://www.mizu-tsuchi.jp/
http://tokyoartvillage.blog36.fc2.com/blog-entry-378.html
これも。そう。
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2010'07.21.Wed
hinemosu

フォトショップが手に入ったので遊んでいました。
いろいろ出来て大満足です。

いつかこういうコラージュをたくさん掲載したサイトを作りたいものだ。
2010'06.22.Tue
ハロルド=ローゼンバーグ
ー実存主義的立場から西洋近代美術との断絶を説くー

 戦後のアメリカ、ニューヨークでアメリカがその歴史上初めて、美術運動において世界的影響を持ったのが抽象表現主義だ。同時代の批評家に、クレメント=グリーンバーグとハロルド=ローゼンバーグが居る。彼らはこのアメリカにとって記念すべき「抽象表現主義」の勃興を快く受け入れ、擁護した。両者は社会的に見ると左翼的立場にその位置をおきながらこれらを批評していった点など、いくらかの共通点を持っているが、その理論や論点は全くの別物であり、それぞれに真逆を向いている。グリーンバーグの理論は1990年代に入ってから見直され再評価がされているが、ローゼンバーグの批評はその後大きく後継者達により発展させられることはなかった。それでありながら、確実にポップアート、ミニマリズムへの布石となった彼の抽象表現主義の考察をここで紹介したい。
 ハロルド=ローゼンバーグは詩人であり、ヒュルゼンベックらダダイスト達から受け継いだ「ポレミックな姿勢」でマルクス主義的、そして実存主義的立場から抽象表現主義を語った人物である。
 彼の発言のうち最も有名なものは1952年に『アートニューズ』誌に掲載された"American Action Painters"という文章のなかの "At a certain moment the canvas began to appear to one American painter after another as an arena in which to act " という下りであろう。ここでローゼンバーグはアメリカの作家達にカンヴァスが「表現」する場ではなく「行為」する場、闘技場(arena)であるととらえられ始めたと主張している。この「行為する」という言葉は主にジャクソン=ポロックの《ラヴェンダーの霧:第1番》に見られるようなドリッピングを用いた創作スタイルから着想を得ていると考えられている。
 ローゼンバーグはここで記した「行為」を単純に「絵を描く」という行為にとどめずに、更に広汎な意味を持たせることを試みた。このとき彼は特にマルクス主義と実存主義を融合させることを努力したサルトルを参照した。
 更にハロルド=ローゼンバーグは当時《Onement1》等を製作していたバーネット=ニューマンについて綴った文章において、「描く」ことを「社会に蔓延する虚無感と対峙する画家の行為そのもの」と定義した。ローゼンバーグによると、抽象表現主義の作品はこれを生成させる画家そのものを反映させており、作品は個々の作家の行為、即ち作家の内的感情、人生の記録である。ここにおいて、かくして、単にキャンバスの上で動きながら描くジャクソン=ポロックのアクションペインティングの筆致の生成の瞬間のみならず、静的イメージを与える、「行為」という言葉から遠い印象を持たされるバーネット=ニューマンらカラーフィールドペインティングの作家達の色面の生成の瞬間にも、ローゼンバーグはかつての絵画界になかった意味を持たせることに成功した。
 個々の作家の内的感情に着目したのはローゼンバーグが実存主義を主張していたためであり、抽象表現主義をキュビズムなどのヨーロッパ近代絵画の流れを汲んでいるとするグリーンバーグと違い、ローゼンバーグはこれら一連の運動はヨーロッパ絵画界とは断絶しているとする立場にあった。彼はだからして、上に載せた記事のタイトルを "American Action-Painters" ではなく、あえて"American-Action Painters"という表現をすることで、(もっとも彼のこの意図はなかなか汲み取られることはなく、しばしば省略されてしまったが。)アメリカの作家群をヨーロッパの現代作家達から切り離し、独立させることで、この運動がアメリカ独自のものであることを強調した。ここには、彼がかつて傾倒していたマルクス主義的美学、社会で生成されるものにはその構成員の持つ文化的背景、生活様式、宗教的背景などが反映されるという考え方も強く現れている。  ローゼンバーグの主張はデ・クーニングを経て、弟子であるラウシェンバーグに受け継がれる。彼の関心は彼が「個人の内面を過剰に神聖化することは、間違いではないか?何故、無意識の迂回路を取るのか、画家は都市の現実を直視すべきではないか?」と述べていたことからもわかるように、作家自身の内的感情の記録にとどめず、作家存在する現在世界に重点を置き、それを表現することであると考え、抽象表現主義を捨て、1955年、《Bed》を作成しネオダダへと足を踏み入れた。
 ハードエッジも、抽象表現主義の持つ幾何学的抽象を否定したことで生まれた運動である。彼らはしかし結局、抽象表現主義の言わんとする「近代西洋美術のイリュージョン」である、遠近法、陰影などを捨て去ることを主張していたため、同じ線上にいる抽象表現主義の後継者であるとみられている。このハードエッジとローゼンバーグの作家と作品との関係は後に1960年以降、ミニマルアートやポップアートへと受け継がれた。
 ハロルド=ローゼンバーグはアクションペインティングという言葉を作っただけではなく、作家達に制作において作品に対峙する作家の立ち位置の提案をし、ヨーロッパに大きく遅れをとっていたアメリカの美術界を、ヨーロッパに続く者、ではなく、ヨーロッパに対する独立した一大勢力へなる手助けをした。彼の持った実存主義的考察は、アメリカの新しい美術界を担う作家全ての作品に、それぞれの作家の内面を担わせることで重大な意味を与え、より自由な表現へと彼らを導いたのだ。



参考文献

Harrison, Charles. "Art in theory, 1900-2000: an anthology of changing ideas". pp589-592. Wiley-Blackwell, 2003.
"OCNアート現代美術用語辞典". 19 Jun.2010.
美術手帳編集部.「20世紀の美術と思想」. pp166-169. 株式会社美術手帳出版社, 2002年.
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