忍者ブログ

vis aud

what i saw, what i heard

2026'06.03.Wed
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

2010'07.07.Wed
6/30 世界史、古文、日本文化史
7/3 古文、
7/5 世界史、古文

なかなかはかどらない。
世界史はやっとギリシャ史を通したところだ。
問題集の答えを実家に忘れて来た。最低だ。

古文は順調に?6/30項目終わらせた。

日本文化史は未知。どうしたものだろう。

新しくこれからフランス語、ラテン語を始める。
PR
2010'07.01.Thu
この夏の過ごし方を、更に細かく決めていく。

今日始めたことがいくつかある。

古文文法の復習 これはこつこつやって2〜3週間で終わらせたい
日本文化史 日本美術史を勉強するにあたって、特に能について
世界史 教養、高校で大いにやり残した部分
 特に美術にあたっては古代ローマ史、近代フランス史、現代史が必要?

これから始めたいことがいくつかある。

フランス語/イタリア語/ラテン語 あきちゃんの授業をうけるにあたって
英語単語帳(英語検定準1級程度) 単純に自分に足りない
日商簿記3級 去年のやり残し
2年次論文のテーマ決定、リサーチ開始 今始めないと間に合わないから。

能面作り 趣味

月曜日:用事がなければ一日勉強
火曜日: 〃
水曜日: 〃
木曜日:昼間勉強、15時からバイト
金曜日: 〃
土曜日: 〃
日曜日:昼間勉強、夜からバンド練

後はうまーく帰省したりする。うまーく。
2010'06.22.Tue
ハロルド=ローゼンバーグ
ー実存主義的立場から西洋近代美術との断絶を説くー

 戦後のアメリカ、ニューヨークでアメリカがその歴史上初めて、美術運動において世界的影響を持ったのが抽象表現主義だ。同時代の批評家に、クレメント=グリーンバーグとハロルド=ローゼンバーグが居る。彼らはこのアメリカにとって記念すべき「抽象表現主義」の勃興を快く受け入れ、擁護した。両者は社会的に見ると左翼的立場にその位置をおきながらこれらを批評していった点など、いくらかの共通点を持っているが、その理論や論点は全くの別物であり、それぞれに真逆を向いている。グリーンバーグの理論は1990年代に入ってから見直され再評価がされているが、ローゼンバーグの批評はその後大きく後継者達により発展させられることはなかった。それでありながら、確実にポップアート、ミニマリズムへの布石となった彼の抽象表現主義の考察をここで紹介したい。
 ハロルド=ローゼンバーグは詩人であり、ヒュルゼンベックらダダイスト達から受け継いだ「ポレミックな姿勢」でマルクス主義的、そして実存主義的立場から抽象表現主義を語った人物である。
 彼の発言のうち最も有名なものは1952年に『アートニューズ』誌に掲載された"American Action Painters"という文章のなかの "At a certain moment the canvas began to appear to one American painter after another as an arena in which to act " という下りであろう。ここでローゼンバーグはアメリカの作家達にカンヴァスが「表現」する場ではなく「行為」する場、闘技場(arena)であるととらえられ始めたと主張している。この「行為する」という言葉は主にジャクソン=ポロックの《ラヴェンダーの霧:第1番》に見られるようなドリッピングを用いた創作スタイルから着想を得ていると考えられている。
 ローゼンバーグはここで記した「行為」を単純に「絵を描く」という行為にとどめずに、更に広汎な意味を持たせることを試みた。このとき彼は特にマルクス主義と実存主義を融合させることを努力したサルトルを参照した。
 更にハロルド=ローゼンバーグは当時《Onement1》等を製作していたバーネット=ニューマンについて綴った文章において、「描く」ことを「社会に蔓延する虚無感と対峙する画家の行為そのもの」と定義した。ローゼンバーグによると、抽象表現主義の作品はこれを生成させる画家そのものを反映させており、作品は個々の作家の行為、即ち作家の内的感情、人生の記録である。ここにおいて、かくして、単にキャンバスの上で動きながら描くジャクソン=ポロックのアクションペインティングの筆致の生成の瞬間のみならず、静的イメージを与える、「行為」という言葉から遠い印象を持たされるバーネット=ニューマンらカラーフィールドペインティングの作家達の色面の生成の瞬間にも、ローゼンバーグはかつての絵画界になかった意味を持たせることに成功した。
 個々の作家の内的感情に着目したのはローゼンバーグが実存主義を主張していたためであり、抽象表現主義をキュビズムなどのヨーロッパ近代絵画の流れを汲んでいるとするグリーンバーグと違い、ローゼンバーグはこれら一連の運動はヨーロッパ絵画界とは断絶しているとする立場にあった。彼はだからして、上に載せた記事のタイトルを "American Action-Painters" ではなく、あえて"American-Action Painters"という表現をすることで、(もっとも彼のこの意図はなかなか汲み取られることはなく、しばしば省略されてしまったが。)アメリカの作家群をヨーロッパの現代作家達から切り離し、独立させることで、この運動がアメリカ独自のものであることを強調した。ここには、彼がかつて傾倒していたマルクス主義的美学、社会で生成されるものにはその構成員の持つ文化的背景、生活様式、宗教的背景などが反映されるという考え方も強く現れている。  ローゼンバーグの主張はデ・クーニングを経て、弟子であるラウシェンバーグに受け継がれる。彼の関心は彼が「個人の内面を過剰に神聖化することは、間違いではないか?何故、無意識の迂回路を取るのか、画家は都市の現実を直視すべきではないか?」と述べていたことからもわかるように、作家自身の内的感情の記録にとどめず、作家存在する現在世界に重点を置き、それを表現することであると考え、抽象表現主義を捨て、1955年、《Bed》を作成しネオダダへと足を踏み入れた。
 ハードエッジも、抽象表現主義の持つ幾何学的抽象を否定したことで生まれた運動である。彼らはしかし結局、抽象表現主義の言わんとする「近代西洋美術のイリュージョン」である、遠近法、陰影などを捨て去ることを主張していたため、同じ線上にいる抽象表現主義の後継者であるとみられている。このハードエッジとローゼンバーグの作家と作品との関係は後に1960年以降、ミニマルアートやポップアートへと受け継がれた。
 ハロルド=ローゼンバーグはアクションペインティングという言葉を作っただけではなく、作家達に制作において作品に対峙する作家の立ち位置の提案をし、ヨーロッパに大きく遅れをとっていたアメリカの美術界を、ヨーロッパに続く者、ではなく、ヨーロッパに対する独立した一大勢力へなる手助けをした。彼の持った実存主義的考察は、アメリカの新しい美術界を担う作家全ての作品に、それぞれの作家の内面を担わせることで重大な意味を与え、より自由な表現へと彼らを導いたのだ。



参考文献

Harrison, Charles. "Art in theory, 1900-2000: an anthology of changing ideas". pp589-592. Wiley-Blackwell, 2003.
"OCNアート現代美術用語辞典". 19 Jun.2010.
美術手帳編集部.「20世紀の美術と思想」. pp166-169. 株式会社美術手帳出版社, 2002年.
2010'06.19.Sat
芥川龍之介の歯車を読んだ。
というのも、私は共感者を求めていたから。


それが始まったのはライブの後の小さな倦怠感にうつらうつらしながら、パソコンで映画を見ているときだった。
その日は朝から、忙しい日だった。最後の授業のあとレポートを提出して、15時からライブのリハーサルに出演、そのあと友達の展示を見に炎天下の中歩いた。上野の森の中に有る小さな展示室で音楽や映像をたくさん見て、とても充実したひとときを過ごした。
その後本番までまだ時間があったので、もとの駅に戻り、私はある目的を果たすべく電気街へ出かけた。というのも、私はその日まで昨年の10月に今の部屋に引っ越してからというもの、天井の電気なしで、もっというと卓上ランプ一つで生活していた。手元で作業するときはそこを照らし、部屋でうとうとするにはそれをくるりと回して間接照明にしていた。それでも何も問題はなかったのだが、そこにぽかりと電球を加えたがっている口金があると、どうもその体裁を整えてやりたい衝動が、私の中でここ最近わき上がってくる。それを満たすには秋葉原は非常に都合の良い街だったのだ。元々なくても同じなら、出来るだけ安い方がいい。それからほこりもたまらぬ方が良い。そんなことを考えながら、口金に直接取り付ける電球のソケットを発見したのでそれと、今はやりの蛍光灯ではなく、白熱灯の大きく丸いものを購入した。元々神経過敏な体質で、蛍光灯をつけるとその音が耳に障って作業に集中できなくなるので、エコとかそういうことはひとまずおいておく。まぁそれらを持って、喫茶店で本を読みながらうとうとした。しばらくするとライブの時間となったので、元のライブハウスに戻り、演奏をする。何事もなくほっとして、残りのバンドの演奏を聴きながら楽しむ。そして清算をすませて(お客の入りはすこぶる悪かったことを併記しておく。)、少しバンドのことを話して、解散。電車にゆられて帰路につく。この日は荷物は多かったけれどがんばって自転車にのせて駅からこいだ。
家にたどり着き、気持ちよくシャワーを浴びて(普段は力つきてシャワーを浴びずに寝てしまって、翌朝あわてて浴びるパターンなのだが、今回は割と元気だったのだ、本当に。)、そしてパソコンをして過ごす。映画を見始めたのが午前2時半ごろ。それから映画も中盤をすぎてきたころ、集中力の途切れからか、字幕を認識できなくなった。文字に焦点が合わない。左下の視野がかけているのだ。それはだんだんとひろがって、そのうちスターの顔が認識できなくなった。ああ、疲れているのだ。そんなことを思いながらトイレに行き、やはりトイレットペーパーが見えない。手探りで用を足し、部屋に戻り、目薬を差し、瞼をぱちぱちとした。期待とは裏腹に私の視野は帰ってこない。いったいどこへ出かけてしまったのか。ドラビアンナイトの世界に迷い込んでしまったシズちゃんを探す心持ちである。しかしなす術もないので私は布団に潜り込んだ。寝よう、寝れば良くなる。8時間くらい寝ればきっと良くなる。ラッキーなことに、明日は授業がない日。。。
翌朝、鈍痛が頭に響いているので目が覚めた。あいたたた。時計を見るとまだ6時だ。ぞっとした。私が床についたのは4時過ぎなのだ。自然に目を覚ます時間ではない。そうしているうちに頭痛がひどくなってくる。その後のことは正直よく覚えていないけれど、脳に腫瘍でもできているのか、眼球の裏側が腐っているのか、とにかく尋常じゃない痛みだった。頭が痛すぎて「ううう」と、うなり声をあげる。そしてあまりの痛みに体がびっくりしたのか、強い吐き気と下痢の前兆を感じた。馬鹿な。私は心の中で笑った。昨日は昼のフィッシュバーガー以降何も食べていないじゃないか。実際下はでるが上からは、かすのような胃液がたらたらと上あごから前歯を伝って便器へ落ちた。脳の底面の痛みは一向に収まらない。私はさてこれからどうしようと考えた。意識が有る自分が救急車を呼ぶのはなんだかおかしい。通り魔に腹でもさされぬ限り、そういうことはしてはならぬ、と自分の中では決めていた。けれども一刻も早くこの苦境から解放されたい。病院で鎮痛剤でも売ってもらおう。インターネットで医者を探し始める。すぐにでも医者にかかりたい私だったが、当たり前では有るが、朝の6時に空いている病院などない。おまけに最寄りの病院は予約制である。新しくて小さいクリニックがその病院のすこし先にあった。次に私はタクシーを調べた。病院でタクシーなんてなかなか呼ばないけれど、そのときの私には、歩いて、あるいは自転車で、現場まで出向くことが出来るとは到底思えなかったからだ。全てを調べ終わった私はまた眠ることにした。痛みは峠を越して、少しずつ弱まって来た。このまま頭痛がなくなったら、あるいは、病院には行かなくてよいかもしれぬ。そんなことも考えた。
次に起きたのは8時半だった。私は服を着た。嘔吐のときの不快感で嫌な汗をかいたので、半裸で寝ていたのだ。頭痛はするが、頑張ればこげる程度の体調。先ほどの嘔吐の影響で未だに吐き気がする。鼻の中がげろくさいので丁寧に顔を洗って歯を磨いた。自転車で飛行場の横を抜けて、坂道を少し上るとクリニックがあった。新しくて小さい。病院はどこもそうなのか、自分の地元のように、朝早くから病院にかかりにくるのは、老人達が多い。そのなかに一人、ぽつりと私は座った。初診なので時間がかかろうと、膝をかかえてうつむいていた。どう座っても嫌悪感が首からぶら下がっている。頭痛も私の中で踊っている。優しそうな看護士が声をかけて、奥のベッドで寝かせてくれた。彼女は丁寧に私の症状に耳を傾けて、順番になったら声をかけるのでゆっくり寝ていて、とゆった。
●●さん
私の名前が呼ばれた。
2010'06.11.Fri
ブックログの題名でフライングしてしまったのですが、
今日で22歳になりました。

21歳最後の日は、
提出し忘れていた資料を提出して、
来学期の授業の登録をして、
奨学金の登録をして、
体育で筋トレをして、
美術の授業をぶっ続け3時間半受けて、
雨の中帰るのが嫌だったので、
消毒臭い図書館に引きこもってメルロポンティ、ニーチェとたわむれて、
閉館だと追い出されると雨がやんでいたので、
大学〜調布〜家と言う風に自転車でぐるりと回って散歩して、
帰宅後にストレッチをして終わりました。
簡潔。

これからキッタナイこの部屋を片付けようと思います。
BEFORE→AFTERで見比べたら楽しそうですな。。
[1] [2] [3] [4] [5
«  BackHOME : Next »
■about watashi
:: name ::
xum
:: interests ::
music / art / architecture / crafts / movies / italy / french / kimono / noh-men
■more





!--shinobi1-->

Powered by Ninja.blog * TemplateDesign by TMP

忍者ブログ[PR]